伊藤博文公も愛した130年の伝統のふぐ料理。
お客様によりそうおもてなしを。
明治20年(1887年)の暮れ、山口県下関の割烹旅館春帆楼に当時の内閣総理大臣伊藤博文公が宿泊されました。
本来であれば新鮮な下関の魚料理でおもてなしをするところ海は大時化。手元にあるのは、危険な猛毒を有するために、豊臣秀吉の河豚禁食令以来、厳罰をもって禁食とされているふぐばかり。
女将ミチは「魚を食したい」という伊藤博文公の思いを叶えるためにお手討ち覚悟で、御膳にご禁制のふぐ料理を出しました。
「こりゃ、美味い」
食したふぐ料理の美味しさに感銘を受けた伊藤博文公は、翌年ふぐ禁食令を解禁いたしました。
これが、春帆楼のはじまりであり、ふぐ料理のはじまりです。
春帆楼で働くというのは、最高レベルの食の技術に触れて働くことであり、そこで身に付くのは最高レベルのプロフェッショナリズムです。
なによりもまず美味しいお食事。それと同じくらい大切にしているのは、お客様をもてなす心です。明治時代の春帆楼を切り盛りした女将ミチの覚悟は、令和となった今この瞬間も、春帆楼に強く息づいています。
このことは、あなたのキャリアの中で揺らぐことのない大きな柱となり、仕事に就くすべての人に通用する、この上ない支えになるのではないかと私たちは考えています。