私たち太陽学院の歴史は、1966(昭和41)年にさかのぼります。 全国各地で幼稚園の開園が進む中、亀田町(現在は函館市に合併)には、保育園が一つあるだけで幼稚園は存在していませんでした。 当時の亀田町は、住宅地の開発が進む人口の増加期の真っ只中。地域の方々は、子どもたちを育んでいくための幼児教育の場を求めていました。 そんな多くの人々の思いを受け、立ち上がったのが太陽の子幼稚園です。 「地域のすべての子どもたちに、良い教育を届けたい。」 太陽学院の原点には、設立者である豊田文子のそんな地域への想いがあります。 11年後の1977(昭和52)年には、第二太陽の子幼稚園が開園。それ以来、両園は私たち太陽学院の本拠地・函館から6,000名を超える卒園児を輩出。今も子どもたちを育み続けています。
2代目理事長に私が就任した平成17年頃、もう函館では少子化という大きな波が訪れていました。 「太陽学院が好き」と言って下さり、当園を選んでご入園下さる方々。 太陽学院で働くことに喜びを見出してくれる先生方。これ程ありがたく、経営者として守りたい存在はありません。しかし、急激な少子化は、先生方への給与・子どもたちの保育内容に影響を与えかねないものでした。 守るべき大切な人々のための最善の選択は何か。そう考えて出した結論が、札幌への進出でした。 初めての地での、認定こども園の開設。大変なこと、思いがけない事態もありました。しかし、それでも今こうして札幌の地が太陽学院の大きな拠点になっています。
札幌で太陽こころ幼稚園を開園してから5年。ありがたいことに、地域の方々からご支持をいただけるようになりました。 学院を支えて下さった人々への感謝と共に、私の心の中にひとつの思いが生まれました。それは、「太陽学院をもっと人々のお役に立つ存在にすることで、世の中への恩返しをしていきたい」という思いです。 都心部では、子どもを託す場がなく困っている「待機児童」の問題が深刻さを増していました。子どもたちの未来のために、幼児教育に強い思いと経験を持つ私たちのような法人が立ち上がらなくてはと確信しました。 そして誕生したのが、札幌市内の小規模保育施設2施設と東京都新橋の「こころ新橋保育園」です。法人が大きくなることは、「太陽学院らしさ」が薄れてしまう怖さがあります。しかし、それでは太陽学院の存在意義がありません。 いつまでも、子どもたち一人ひとりをあたたかく照らす「慈愛と感謝の太陽学院」であり続けたい。そのために、職員一人ひとりが想いを共にし、人間性豊かな保育者・教育者となるべく、人財育成を何よりの柱として子どもたちを育んでいます。