2021年10月NEW OPEN!
オープニングスタッフ15名大募集!
「苦しくなったら下を見ろ。私がいる。」by社長
みらいのたね経営者
菊一美から、
今、お仕事を探されてる方に
応援メッセージをお送りしています。
今、現在私はみらいのたねという
障がい者グループホームを
六甲道に2件、住吉に1件
経営しています。
そしてこの度、2021年10月に
「みらいのたね灘」を
オープンする事になりました。
利用者様は六甲道に2名と5名
住吉に4名、そして今回の灘が8名
合計19名の利用者様のサポートを
させていただく事になりました。
対して現在のスタッフが20名
今回の施設は少し規模が大きく
なりますので合計35名体制で
運営していく方針です。
会社を立ち上げて3年半でここまで
来ましたが、着実に成長させて
頂いています。
もし、これをお読みの人が、
今よりも成長したいとか、
何をやっても上手くいかないとか
何もやりたいことがないとか、
そういった事がもしあるとしたら
私の経験がもしかしたら参考に
なるかもしれませんので、
ぜひ読み進めてみてください。
私は元々、新潟県出身で、
東京の大学卒業後、
法学部出身ということあり
司法書士を目指して
いましたが、自分には
向いていないと気づき、
広告制作の会社に
仙台で就職しました。
制作部で5年ほど仕事をした後
フリーになりました。
そして仙台で結婚。
当時の夫と住んでいました。
夫婦で編集プロダクションの
経営を始め、主に私は
コピーライティングや
デザインの仕事をしていました。
しかし、夫婦関係が上手く
いかずに1度目の離婚。
離婚後も私は編集プロダクションを
1人で続け、それなりの収入を
得ていました。
結婚生活は様々な問題があり
苦しかったのですが
離婚後の方が仕事が順調になったのです。
念願のマイホームを仙台で購入し
車も所有しており、女1人では
ありましたが何不自由のない
生活をしていました。
そんなある日、全てを失う日が訪れます。
2011年3月11日
東日本大震災。
自分が築き上げたものが一瞬で
消えてしまいました。
仕事も家も。
私は幸い独り身でしたので
家族は失わずに済んだのですが
それでも本当にショックで
被災した時は何がなんだか分からず
ショックでパニック状態になりました。
しかし私はとても運が良かったのです。
そんなパニック状態を支えてくれる
人の存在です。
実は偶然にも前日の3月10日に
親しくしていた男性が仙台の私の家に
遊びに来ていたのです。
彼は長野県松本市の方なのですが
なんと一緒に仙台で被災して
しまったのです。
私の車はたまたま無事で、しかも
ガソリンが満タンに入ってました。
私は彼と2人で、商売道具のMacだけ
車に乗せて仙台を出て彼の地元である
長野県松本市に身を寄せる事に
なったのです。
私は先行きの見えない不安に
精神的に不安定になっていたのですが、
そんな私を彼は支えてくれたのです。
そして彼と私は結婚し子供を授かります。
その時なんと46歳です。
そしてそのタイミングで関西に
移住してきました。
私は今まで仕事仕事の人生でした。
そして被災で全てを失いました。
でも人生は不思議なものです。
私は今度は自分よりも愛せる存在である
子供を授かったのです。
私は仕事よりも今度はどっぷりと
子育てをすることにしたのです。
しかし、そんな幸せは長く続くことは
ありませんでした。
家庭には色々な問題があり
2度目の離婚をします。
でも、私はそれほど落ち込む事は
ありませんでした。
それは私はもう1人ではなかった
からです。
そう、子供の存在でした。
とはいえ、これからどうしようか?
私は元来仕事が好きな人間です。
ビジネスを自分でやってきて
成果も上げてきました。
しかし、この頃すでに私は
50歳を超えています。
なかなか雇ってもらえる所も
見つからない。
では前職の編集プロダクションはどうか?
5年経った以前の仕事は
紙媒体からウェブに
移行している時期でした。
こんなに日進月歩で
進化する世界には
50歳を過ぎた私は
とてもついていけないと
思ったのです。
いや、正確にはもう、その仕事に
魅力を感じていなかったの
かもしれません。
私はITの進歩についていく事よりも
直接人に関わり社会に役立つことは
ないか?
そのように考えるようになりました。
そんな中、障がい者の方が行くところが
ないと親御さんが困ってる事を知りました。
私は、子供を持つようになり
そんな親御さんの気持ちを考えるように
なりました。
親は通常、子より先に亡くなります。
自分が亡くなる時、自分の子供がもし
障がいを持っていたとしたら、
どんな気持ちになるか?
私はとても寂しくて心配で無念な
気持ちになるのではないか?
そんな風に想像して
しまったのです。
そして、障がい者
グループホームという
障がい者の方を
預けられる施設がある
と言う事を知ります。
また、その数が全然足りて
いないという現実を知ります。
神戸市では障がいを持つ10人のうち
1人しか受け入れ先がないとも
言われています。
重度の方は
優先的に受け入れて
もらえますが、
グレーゾーンや軽い方は
自宅でなんとかするか
親戚を頼るかというのが
今の現状です。
あまり語られませんが
親戚やご兄弟にすごく負担が
かかっているのではないか?
そこに対して何かできないか?
と私は思うに至りました。
これをやろう。
そう決断し全く知識も
経験もないところ
からスタートしたのです。
この事業を起こし今で3年半経ちました。
やってみたら甘くありませんでした。
障害者には関係者がたくさんいます。
ケアマネさんとか役所
支援センター
就労先
作業所
デイサービス
関わる先がとても
多く勉強が必要でした。
軽く考えて働きに来られる方は
楽しさを見出せず辞めていきました。
ただのお手伝いさんみたいな
お仕事と思われている方には
向かないお仕事です。
暴言を吐かれたり、
暴力を振るわれたり。
理不尽な気持ちになると
いうこともありました。
それでも辞めないと私が思ったのは
諦めないと思ったからです。
私は今まで何度も人生で
ピンチがありましたが
周りの人たちに助けられながら
乗り越えてきた事に
自信を持っていたのだと思います。
そうすると
こんな声かけをすると変わるとか
こちらの工夫によって
改善が見られるようになったのです。
保護者に対しても対応の工夫を
日々行なっていました。
日々の積み重ねにより
自分の問題解決力が上がって
言ったのです。
不思議な事に
職員さんもだんだん良い人が
入ってくるようになったのです。
きっと軽く考えて入って来られる方は
私が軽く考えていたからなんだと
気づきました。
私が日々勉強して、成長すれば
日々勉強して成長したい人が
入ってくるようになったのです。
今現場はとても順調に運営できています。
それは、職員の皆さんが
お金以外でこの仕事の中に喜びや
成長を感じる事ができる人
ばかりだからだと思います。
この仕事の難しさは
障がい者の方の場合
成長しないかもしれない。
衰えるばかりかもしれない。
このように職員が思ってしまう事です。
「こんなに言ってもダメなんだ。」
「なんでこんなことしなくちゃ
いけないんだ。」
辞めた職員さんの中には
こんな人もいたと思います。
でも、ずーっと続いていく中で
利用者さんにも喜びがあります。
ちょっとしたことで
利用者さんが達成するというよりも
自尊心が満ちる瞬間があるのです。
きっとそんな時にスタッフも
職員もお互い「生きてる」事を
共有できるのだと思います。
利用者さんは今まで怒られて
ばかりの人が多いのですが、
そんな時、自分を認める力が
小さくなります。
行動障害がそんなところから
起こることもあります。
褒めるところはしっかり褒める。
これはどんな人でも同じかなと
思いますが、やはり人を支えられる
のは人でしかないという事が
わかります。
そして都会で生きて来た利用者さん
の多くは、田舎では住みたくない
と思っています。
社会との接点がある場所で
生活してもらえることは
社会的な貢献につながり
今の職員の皆さんは
そういったところにも
やりがいを感じています。
決してお金を稼ぐ目的だけでは
つとまらないお仕事です。
逆に自分が成長することに
貪欲な人には向いてるお仕事です。
人への観察力が磨かれます。
人に対するスタンスが
期待するわけではなく信じる
という風になっていきます。
利用者さんは究極に自分の損得に忠実です。
人への配慮がない
社会性がない
好き嫌いが激しい
自分自身を認めてくれる人の
ことが好き
忖度がない
そんな利用者さんと渡り合える
職員の皆さんを私はとても尊敬しています。
ある意味利用者さんも
職員も才能の塊なんだなと
私は思います。
人と人が意思疎通する
コミュニケーション力が
とんでもなく身につく職場です。
会社経営
接客
コーチング
マネジメント
マーケティング
営業
恋愛
人間関係
講師
自営業
等に強くなる要素がとても
たくさんあるなと最近思います。
私はこれからのみらいのたねを
強い福祉事業体にしたいと思っています。
具体的には強度行動障害の人も
きちんと受け入れられる施設を
作る事です。
施設に隔離するのが今までの時代でした。
これからは隔離から少しづつ共存という
流れになっていくと私は思っています。
そうなっていくためには知識や
具体的な計画が必要です。
そしてそれをみんなで共有して、
支援していくことが必要です。
いいチームを作っていきたいと
思っています。
この1年の間にさらに女子棟を
もう一棟増やす予定です。
理由は要望が多いからです。
「家を出たいけど受け入れ先がない。」
利用者さんにとっても
職員さんにとっても良くあるためには
結局施設を増やしていかないと
皆さんのお給料もあげていけませんし
利用者さんの要望にも応えられません。
私の目標は職員さんを専門職として
ステータスと収入を上げる事です。
優しい気持ちでみんなのお家だねー
って言ってるだけでは
福祉事業体としてのレベルが
上がっていきません。
そして私は自分の力で、
なんでもできると
いうことを自分の子供に伝え
ていきたいと思っています。
私は娘がいたからここまで頑張れました。
私は自分の才能でグイグイ
引っ張るいわゆるワンマンタイプの
社長ではありません。
私の目指すところは
「才能が集まってくる社長」です。
場を作るのが上手であることを
常に意識して行動しています。
そのために職員さん達の
話を良く聴くことが
今の私の主な仕事です。
とはいえ、私もまだまだ
成長途中です。
一緒に成長したいと
思う人に来てほしいと思っています。
これをお読みのあなたは、もしかしたら今
何か苦しさや悔しさを感じている時かも
しれませんし、目標に向かって走ってる
時かもしれません。
あなたとご縁があれば嬉しいですが、
もし当社に応募しても、しなくても
あなたにとって一つでも気づきであったり、
良いきっかけになる事を祈ってます。
私は一生に一度の人生を悔いなく
生きていきます。
それでは、あなたとお会いできる日を
祈っています。
有限会社エイト
代表取締役 菊一美