創業170年目のスタートアップ
2月11日、ペリーが浦賀の沖合に再び現れる
3月31日、日米和親条約が結ばれる
年末には安政の大地震が発生
そんな年に若き中村藤吉は起業し、
自らの名を冠した暖簾を掲げる
1854年のことだった
いつの時代であれ、
ゼロから何かを目指すことは
並大抵じゃない
フツウなら諦める、
ジョウシキならば諦めにすら至らない
それら全てを、沸りほとばしる情熱と、
盲目的なまでに自分を信じ切る危うさで
否定し続けたのだ
全生命を持って
この世に、世界に、ヒトに、茶に、
いったい自分は何ができるのか、
どうすれば役に立つことができるのか、
何のために存在するのかを問い続けたのだ
それから170と余年
問いかけはいつしか
歴史や伝統と言われるようになった
問いかけはいつぞや
問いかけではなくなり、頑なに守るべきものになった
果たして今を預るワタシたちは、
問うているのだろうか
挑んでいるのだろうか
先達の残した御輿に
乗っているだけではないのだろうか
みんな実は知っている
いつだって後悔は、
挑まずにいた自分へ向かうことを
挑まずにはいられない、
そんな自分の声がすることを
さあ、
誰かが作った言葉でできた
日本茶の向こう側に、
挑んでみようと思う