人をたくさん雇うということは、それだけ多くの人の家庭を守っているということ。そこは誇りを持ってやっていい。
(株式会社扶桑工業 創業者 池谷達雄)
建物をつくるときにコンクリートを補強するための鉄筋(鉄の棒鋼)を、構造物の形状に合わせて加工して現場で取り付ける「鉄筋工事」と、建物を建てる前に地質の硬さや状態を調査するためのマシンを開発する「機械事業」。
私たちの仕事は、見えないところで、人々の暮らしを支えています。
AI技術が発達しても、現場で働く職人や管理者、地質調査というニッチな分野におけるマシン加工のエンジニアは、この業界になくてはならない存在。
この「なくせない仕事」を継続していくために、次の世代の職人、管理者、開発技術者を募集します。
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1963年(昭和38年)1月、私の父が「池谷鉄筋」を創業。
扶桑工業の歴史はここからスタートします。
当時、父は朝早くに家を出て夜遅くに帰ってきていたので、父がどんな仕事をしていたのかは記憶にないのですが、職人さんたちが家の前で鉄の棒鋼を加工しているのを見て、子どもながらに、体力を使う仕事だなと思っていました。
また、その頃の職人さんたちは言葉づかいとかが乱暴で、僕なんか一応社長の息子なわけですが「おい、小僧!」なんて呼ばれていて、ちょっと怖かった思い出があります。
昔の鉄筋工事というのは、セネコンさんがつくる建物の脇に空き地を借りて、そこで鉄の棒鋼を加工して取り付けるというやり方をしていました。
そんななか父は、加工するための工場を建て、そこでつくった製品を各現場に送るという集中加工に切り替えたんです。
それが1972年(昭和47年)のことで、加工工場を建てたのは静岡県ではおそらく初。
そのときに社名も株式会社 扶桑工業に変わりました。
社名の由来について父から、中国の伝説で「扶桑樹」という巨木が天を支えていたことや、またそのなかで「扶桑」が日本を指す言葉だったことから、この社名になったと聞いています。
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父の仕事を継ごうなどとは、一度も思ったことはありませんでした。
職人さんたちは怖かったし、何より相当重労働だなと思っていたものですから、高校卒業後は東京の大学に行って、卒業後は設備工事の会社で働いていました。
私が扶桑工業に入ったのは、1987年(昭和62年)。
母の病状(アルツハイマー)が進んだことや、父の老いを感じたこともあり、仕方なく戻ったのですが、当時借金もかなりの額があり、借金過多で私以外に次ぐ者がいない状況でした。
父はとても人間味にあふれた喜怒哀楽の大きい人で、私なりの表現で言えば、気分がいいときは天より高く舞い上がり、落ち込むときには海より深く落ち込む。
こうした性格からかどこかカリスマ的なところがありましたが、経営面では感覚に頼るところが大きく、また、すぐ人を信用してしまうもんだから、よく詐欺師に騙されていました。
私が設備工事の会社に進んだのは、ゼネコンより規模が小さく、土を掘るところから仕上げまで全部を経験することができると考えたから。
ゼネコンだと管理が細分化されてしまい、仕事を全体的に覚えられないと思ったのです。
父の仕事を継ぐ気はなかったと言ったものの、大学を卒業して設備工事の会社に進んだのは、やっぱり将来的には父のあとを継がなくてはという思いが、どこか頭の中にあったのでしょうね。
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弊社の仕事は、衣食住で言うところの「住」にかかわり、人間が労務を提供する仕事なので、将来的に見てもなくならない仕事と言えます。
しかし、職人をたくさん抱えているため、会社の売上に対して人件費率がものすごく高い。
会社の利益率が非常に少なく、経営者として自分たちの会社がいい会社なのか、悪い会社なのか悩んでいたときに、父にこんなことを言われました。
「なかなか評価されない会社だけど、人をたくさん雇うということは、それだけ多くの人の家庭を守っているということ。そこは誇りを持ってやっていいんだよ」と。
経営のことについて父とあまり多くを話すことはありませんでしたが、この言葉はとても印象に残っています。
鉄筋工事の会社としてスタートして、現在は、建物を建てる前に地盤の地質調査を行なうためのマシンや、掘削の刃先などの開発や製造販売、メンテナンスなどを行なう「機械事業」も手掛けています。
単純に利益率で言えば、機械事業のほうがいいのですが、鉄筋工事のほうが昔から付き合いのあるお客様や職人たちと直接顔を合わせて話をする機会が多く、私はそういう人間くさいところが好きなんです。
こうしたところは父によく似ているのかもしれません。
見えないところで建築構造物を支え、守っている私たちの仕事は、同時にたくさんの社員の生活も支え、守っているのです。
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私も65歳になり、10年20年先を見据えた環境をつくっておきたいと考え、今回、さまざまな職種で募集を行なっています。
年商はおよそ20億円、社員は100人ほどの小さな会社ですが、小さな会社ならではの風通しのよさがあります。
規模感からしても社員が歯車のように働く雰囲気は皆無です。
もちろん、大きな組織のなかで激しい競争を勝ち抜いて成功を手にするという生き方もあります。
それぞれ自分の人生ですから、社会の常識や他人の声にとらわれず、自分で考え、自分の好きな道に進んでほしいと思います。
繰り返しますが、私たちの仕事は、見えないところで、人々の暮らしを支えています。
建物が完成したとき、そこに自分たちの技術が生きていると思える、やりがいのある仕事です。
そんな仕事がしてみたいという方は、ぜひご応募ください。
株式会社 扶桑工業
代表取締役 池谷侑治
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p.s.
採用担当の堀川です。
私自身、2年前に外食産業から扶桑工業に転職しました。
働き始めて気づいたことは、社長が穏やかだからか、社員がみんな優しい。
上司にしても先輩にしても、威張るような人は見当たりません。
だから、自分の意見も言いやすいし、忙しいときにはお互い助け合うこともあります。
実際、職場の雰囲気は入社するまでわかりませんが、私はここに入社して本当によかったと思っています。
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p.p.s.
私たちが一緒に働きたいと思うのは、こんな方々です。
●自主性を持って物事に取り組める人
●モノづくりが好きな人
●明るく周囲とコミュニケーションがとれる人
そんな皆さまからのご応募、お待ちしております。