昭和49年の法改正により、身体障害者も二種免許証を取得することが出来るようになり、昭和50年には、故白井仁志氏が二種免許証を取得しました。しかし障がい者である彼をタクシー乗務員として採用する会社は一社として無く、タクシー業界で働くハードルの高さに希望を失いかけていました。そんな彼の転機は、故川村和太郎氏(当時宮園自動車株式会社社長)との出会いでした。彼のまじめさと熱意に惚れ込んだ川村氏は、国内第一号となる身障タクシードライバーとして白井氏の採用を決めます。これをきっかけとして、同年に4人、翌年の昭和51年に5人と身障タクシードライバーが次々と誕生し、白井氏の声掛けで『身障者運転二種免許取得者安全協会(その後「宮園身障二種免協会」へと改称)』が昭和51年9月1日に社内親睦会として設立されました。そして白井氏は「身障者だから・・・のハンディは必要ない」という言葉を残しました。「障がい者だから・・・の特別扱いは必要ない」という意味で、私たちも全くの同意見であり、協会のポリシーとして今も引き継がれています。