人見知りだった自分が変わった
■まず学生時代について教えてください
大学では学内イベントの実行委員サークルに副委員長として所属していまして、年中何かしらのイベントの実行や準備に明け暮れていました。それに加え授業や実験、さらにアルバイトもしていたのでかなり忙しかったですね。私は表に出るのが好きではなく、裏方でコツコツ作業ををするのが好きなタイプです。人からの相談事や頼まれごとは基本的に手が空いていれば拒むことなく受けており、イベント実行委員サークルも友人からの誘いがきっかけで、気づいたら副委員長に任命されていたんです(笑)
■どのような就職活動をしていましたか?軸などはありましたか?
機械系専攻ということもあり機械メーカーに絞って就職活動はしていました。こだわったのは、大手ではなく中小規模で独立系であるという点です。イベントの実行委員をやっていたこともあって、出来る限り手広く任せていただける環境を求めていました。どうしても大手だとやることが固定されていたり、決まったやり方しかできないと聞いていたからです。
■南武以外で入社希望の会社はありましたか?南武への入社の決め手を教えてください。
南武と悩んでいたのは、裁縫関連の産業機械を作っているメーカーです。自分の家系が服飾関係で働いていたこともあり、裁縫関連で働く方々が使う機械を作ってみたいと思ったからです。なぜ最終的に南武に決めたかというと、設計職で応募していた南武から自分の予想に反して、営業職の打診があったことがきっかけでした。正直当時の自分としては驚いたのですが、ジョブローテーションの可能性もあり(もちろんずっと営業職という可能性もあると言われていたのですが…)、社会人になったらいろんな事をやってみたいという軸もあったので、チャレンジしてみようと決断しました。
■当初は営業職として入社を決めたわけですが、社会人になって変わったことはありますか
“人付き合い”と“コスト意識”において変化したと思っています。
もともと理系ということもあり、極度の人見知りだったんです。イベント実行委員と言っても裏方で作業する方で、人付き合いが苦手というか…。
しかし、南武で営業職での内定を承諾したときに、流石に人見知りとは言っていられないなと思ったんです。内定後、卒業までは他の学科の教授と積極的に話すようにしたり、喫茶店でのアルバイト先でもいろいろなお客様に話しかけるように自分なりに備えていきました。
入社後は営業としてお客さまの話を聞いたり、社内の設計部や管理部の方々と話しながらでないと仕事が進まないので、自然と社内を歩き回りいろいろな方々と話せるようになっていきました。
コスト意識については、営業職時代に培われました。なぜなら、お客さまから寸法や加工の相談と共に必ずコスト削減についてご要望をいただきます。図面や完成品イメージを見た時に如何に品質を落とさずコストを下げる工夫ができるかを考え続ける必要がありました。そこからコスト意識が自分の中で定着していきたました。学生時代はそんなところまで考えられていませんでしたからね。
■設計部に異動になりましたがどのような経緯があったのですか?
営業をしている時から、異動の希望を出していました。別に営業が絶対に嫌だという訳ではなく、自分の好きな数字を触ってコツコツとやる業務をしたかったからです。営業部で数年経った時に、ちょうど設計部に増員のニーズが出て異動することができました。