日本酒造りを、世界基準に。
【フランスで感じたのは、後ろめたさ】
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元々演劇の世界にいた久野九平治――。父が病に倒れたことを機に、30歳手前で「萬乗醸造」を継ぐことになった。久しぶりに実家の酒蔵へ戻った九平治は、愕然とする。蔵には機械が所狭しと並び、酒を大量生産する日本酒工場となっていたのだ。
当時は、新しいアルコール飲料の台頭、消費者の酒離れなどにより、日本酒消費量が低迷していた時代。萬乗醸造もまた売上不振に苦しんでいた。このまま「安く大量に造って売る」を続けても、きっと売上は戻らない。悩んだ末に向かったのは、ワイン造りの本場・フランスだった。
世界で愛されるワインの本場に、ヒントはある。そう信じ、現地のシェフやソムリエに自社の日本酒を勧め、感想を聞いて回った。そこで、あることに気づく。彼らの質問は決まって、原料である米の産地や作り方のことばかりだった。フランスでは、醸造家がブドウの生産からワイン製造まで一貫して携わる。ゆえに、原料の質が商品の質に直結することを知っているのだ。
日本酒造りは伝統的に「米は農家が、酒は蔵元が」という考えが主流。萬乗醸造も例に漏れず、創業時からそれが当たり前だった。だからこそ、米について聞かれても、話せるのは農家との会話や本で得た表層的な知識だけ…。感じたのは、後ろめたさだった。
【世界でもっと日本酒が飲まれるようになりたい】
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その思いから酒に合う米を自ら育て、職人の手で醸す日本酒造りにさらにこだわりを持つようになる。
2010年、自社での稲作が始まる。もちろん、社内に米の栽培ノウハウは全くない。兵庫県黒田庄町の現地農家の方々に協力を仰ぎ、社員総出で、イチから米作りを学んだ。さらには、醸造工程も一新。米を洗う、蒸すなど、一般的に機械でなされる工程も、職人の手作業にこだわるスタイルを確立。こうして、どこよりも時間、労力をかけて完成したのが、『醸し人九平次 黒田庄生まれて、』だった。
職人たちの熱量がこもった日本酒の評価は海を越え、フランス・パリの三ツ星レストランにも並ぶように。そして国内でも脚光を浴びることができた。
当然、職人たちの苦労も並大抵ではありません。しかし、それだけ情熱を注ぐからこそ、世界基準の日本酒は生まれます。
一切の妥協なく、人の手で造られる日本酒で、世界で、ワインと渡り合う。真の「醸し人」になりませんか。